User-agent: * Disallow: /cgi-bin/ Disallow: /jpeg/ Disallow: /bin/ 宝彩有菜のe-講座 アドバンスコース第21回 テキスト A 瞑想入門 第7回 「瞑想に関して。瞑想中の注意について(1)」 (悪い例<1> マインドを驚かせてはいけない)  不意に大きな音とか、ベルとかで、瞑想状態を壊してはいけない。 電話のベルとか、目覚ましのベルとかの大きな音が聞こえて、瞑想状態を「びっく り」して中断するのは良くありません。驚かせてはいけないのです。 驚かせると、マインドは、 「ほらごらんなさい。意識を中に中に持っていくのは、修行としてはいいとしてもで すよ。でも、外部のことを無視していたら、こんな風に物凄く驚くことになるじゃな いですか。せっかく片付けようと、記憶ファイルを出していたのに、驚いて大急ぎで 収納したから、ほら、入れるところだってぐちゃぐちゃですよ。整理どころか、か えって乱雑にしただけじゃないですか。だから、もう、瞑想なんてやってはいけない んです。もう、瞑想はこりごりです」 などと、マインドが次回から瞑想に入ることに強く抵抗し始めます。 これでは観照の修行が進みません。無理に瞑想に入ろうとしても、目や耳の意識の一 部をを自分の周囲に残した状態を保とうとマインドはしますから、深く入れないので す。目や耳の意識をいつもすぐに使える状態に保とうとしているからです。 意識が起きている、つまり、スタンバイになっているそのような状態では深い瞑想に 入ることはできません。周囲に注意をしている、気を配っている状態では、瞑想には いれません。意識は覚めたまま、内に集中することが必要だからです。 その意味で、複数の人が一緒に瞑想するのはお勧めしません。座り方や、呼吸の仕 方、姿勢のチェックなどをするのは、先生が一人で生徒が大勢の方が能率がいいか ら、集団でしてもいいですが、本当の瞑想は、一人で静かにマイペースでやるのが正 解です。 ら、夢殿は、その当時としては、一番静かな環境を聖徳太子に提供していたのでしょ う。 インドの、あるグルが悟りを開いたお堂も、とても静かです。小さな石造りの祠で す。私も観光で入ってみましたが、重い鉄のドアを閉じればまったくの無音、無光の 世界になります。まったくの無光というのは、「広い」ですよ。まったくの無音とい うのも怖くなるほど「広い」。 このようなところで瞑想すれば、とてつもなく深く入れそうな気がしました。 現代の住宅事情では、なかなか良い瞑想の場所が取れないと、嘆くことはありませ ん。案外、現代の住宅は、しっかりしてますので、工夫すれば静かな環境は作りやす いと思います。特に、朝の3時くらいから夜明けまでは静かですよ。工夫すれば在宅 で悟れます。天井裏でも、押入れでも、居間でも、瞑想できる場所はあります。大丈 夫です。一日、15分でいいのですから、夢殿と同じくらい静かにできます。夏は クーラーがあり、冬は暖房器具があるのですから、夢殿より勝っています。お釈迦様 や聖徳太子より楽に悟れます。 (悪い例<2> マインドを眠らせてはいけない) つぎは、自分で意識して、今やってる瞑想を抜けた方が良い場合を書きます。続けて いると瞑想が上達しない。あるいは、ヘタになる場合です。 「眠ってしまった」場合です。眠ったら、瞑想にはなりません。 前にも書きましたが、「座ること」が「睡眠」だとマインドが学習してしまったら、 これを直すのは大変です。ですから、そうならないように、「座ること」と「睡眠」 ははっきり区分しておかなければなりません。 具体的には「睡眠」になりそうになったら、「瞑想」をやめて、立ち上がるなり、お 茶を飲むなり、とにかく直ちに瞑想を止めることです。 では、どのようにして「睡眠」になりそうになったことを「知る」のか? 意識が段段遠くなって、ついに睡眠になるのですが、その遠くなる時に、「眠い なぁ」と気づきます。気づいたら、すぐに「この状態では、ちゃんとした瞑想ができ ない。すぐにやめよう」と瞑想を中止してください。 すると、マインドが、 「ええっ、せっかく瞑想を始めたのに、もうやめるんですか。まだ、座って30秒も たってませんよ。もっと頑張りましょうよ。眠いのは気合を入れておけばきっと大丈 夫です。たぶん」というマインドの誘惑に負けないようにしましょう。マインドは 「居眠り」をしたいのです。 「駄目だ。すぐ止める。睡眠をしっかりとって、全然眠くないという状態にしてか ら、再開しよう」と、瞑想を止めてください。 座る真似をして、「睡眠」ばかり貪っている修行者は、決して悟れません。 また、そのクセがついてしまった修行者は、そのクセを治してから、やっと初心者の 修行者と同じレベルになります。 つまり、へたなクセをつけたベテランの修行者は、まったくの初心者より劣っている ということです。 イエスが、「後のものが先になるのはよくあることだ」と言っていますが、この事情 のことです。 (瞑想に深く入る方法) 「欲」の観照とは、すなわち、マインドの動いているさまを観照することですから、 マインドがほとんど何も仕事をしていなければ、とても観察しやすいのです。逆に、 マインドが何かを一生懸命考えていたり、情報処理していれば、その動きはとても活 発ですから、観照するのは難しくなってきます。 別の例で、マインドを台所で働いているお母さんとすれば、お母さんに何 人もの子どもがまとわりついて、台所仕事の邪魔をしているのは、日常です。が、瞑 想では、これらの子どもは別室か何処かで静かに遊ばせて、料理の邪魔をなるべくさ せないようにしなければなりません。そうしなければ料理(瞑想)に集中できませ ん。 呼吸は、無意識でもできますが、意識してもできます。横隔膜は「随意筋と不随意 筋」の両方の性質を持っています。 また、横隔膜を上に上げると、「緊張」します。下に下げると「リラックス」しま す。 そこで、できるだけ、横隔膜を下に下げる呼吸の仕方にします。 丹田(臍の下あたりの腹部)で呼吸をするともいいますが、そんなところに空気は入 りません。 「下腹に空気を吸い込んでください」 なんていう説明は科学的でないから聞かなくてよろしい。 空気は「肺」にしか入りません。 一人で居る事が寂しいのではありません。秋の夜長が寂しいのではありません。寂し さとは、『自分は愛されていない』と思っていることです。たとえ一人で居ても、 『自分は愛されている』が、しっかり心の中に有れば、寂しいとは思いません。たと え、どんな寂しい環境や、状況でも、『自分は確かに愛されている』の実感が心の中 にあれば、寂しいとは思いません。逆に、どんなに大勢の人に囲まれていても、『自 分は愛されている』と思っていなければ、寂しさは募ります。 寂しさが有れば、悟りの修行をしても、悟れません。だから、まず、寂しさを解消す る必要があります。 ですからね。『愛』が溢れると、まるで正反対ですね」 「それは、そうだ。エネルギーの方向が逆になったのだから、それらの、兆候もみん な逆になる。エネルギーの方向を逆にする、それだけじゃ。  だから、小松茸、ここがポイントだ。『寂しさ』も自分一人で出来る。『輝いてい る』も自分一人で出来るんじゃ。回転を変更するだけじゃ」 「それはな、宇宙は、元々、愛で出来ているんじゃ。そして、愛というのはエネル ギーなんじゃ。そして、エネルギーというのは揺れなんじゃ。だから、どんどん揺れ てエネルギーを発信している人は、ますます、エネルギーに溢れる訳だ。発信すれば するだけ、エネルギーに溢れてくる。それは、そうだろう。実に簡単な仕組みじゃ」 「『宇宙は、愛でできている。その愛とはエネルギーのこと。そして、エネルギーと は揺れ。だから、愛を出している人は、つまり、揺れている人は、愛に溢れる』。で すか。 ああ、なるほど。愛は出せば出すほど、自分のエネルギーが高まる。それは、そうで すね。それは、そうです。ああ、何だか、全部分かったような気がしますよ」 「そうか、そうか」 (宝彩有菜) ------------------------ (c) All copyright reserved Alina Hosai 2002